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社会保険労務士たまちゃんの「何でもアリ」のオフィスです

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子供の頃

子供のころの思い出です。素直で純粋でした・・・

【一番最初の思い出】
昭和52年 選手権決勝 東洋大姫路4×-1東邦

僕が小学校2年のときでした。屋島のふもとにある四国村へ、家族で向かっていました。そのときラジオから流れていたのがこの試合でした。
東邦の1年生エース「バンビ坂本」が、東洋大姫路のキャプテン安井にサヨナラ3ランを浴びてしまいました。そのときのラジオのアナウンサーの絶叫を覚えています。

【高松商へ進むきっかけとなりました】
昭和53年 選手権1回戦 仙台育英1×-0高松商 (延長17回)

小学校3年生の夏休み。僕は連日遊んでいました。そのとき友達の家のテレビに地元の高松商が映っていました。あまり関心がなかった僕は、そのまま友達と外へ遊びに行きました。しばし遊んでまた家に戻ると、まだ試合している。でまた遊びに行き、また家に戻るとまだ試合している。一体いつまで試合するのだろうか、と思っていました。そして延長17回、ノーアウト満塁になり高松商:河地の投じた球はバッターへ・・・サヨナラデッドボールとなりました。こんなすごい試合をするなんて、高校野球はすごい、と素直な僕は思いました。甲子園へ行きたい。高松商に行きたい。

【あきらめないことを学びました】
昭和53年 選手権準決勝 PL学園5×-4中京 (延長12回)
      選手権決勝  PL学園3×-2高知商

2学期になって、児童全員、体育館でこの試合を見せられました。僕は夏休みにテレビで見てたのですが、あらためてナレーション付でみると感動しましたね。準決勝4-0、中京リードで迎えた9回ウラ、ねばるPLは追いつきます。そして延長12回、2番手投手を攻めてサヨナラ勝ち。翌日決勝も9回まで2-0高知商:森に完璧に押さえられていたのに、9回ウラあっという間のサヨナラ・・・奇跡のPL、逆転のPL神話はここから始まりました。

【力で押し切る】
昭和57年 選手権決勝 池田12-2広島商

畠山・水野・江上らを擁した「やまびこ打線」の池田VS高校野球の象徴ともいえるバント・機動力野球・精神論の広島商の対決は高校野球界を変えました。1回、いきなり池田は連打で6点を先制。その後も打って打って、広島商を粉砕しました。この年池田はあの早稲田実:荒木大輔も粉砕していました。おそるべしやまびこ打線。ぼくはこのとき力は偉大だと思いました。
強いものが勝つのか・・・

【力では勝てない】
昭和58年 選手権準決勝 PL学園7-0池田

池田は史上初の3連覇を目指して、毎試合相手を粉砕してきました。まさに横綱相撲。かたやPL学園は1年生エースに1年生の4番、しかも前評判は低いということで池田の3連覇は間違いないと誰もが思っていました。ぼくは夏休みの工作を仕上げるため、テレビはつけっぱなしでしたがほとんど無関心。しかし・・・快音がするたびPLのリードは広がっていく。やまびこ打線は1年生の前に沈黙。終わってみれば完敗でした。力だけじゃ、世の中勝てない・・・と改めて気づかされました。
その1年生エースとは桑田真澄、1年生4番とは清原和博です

【楽しむことが大事!】
昭和59年 センバツ決勝 岩倉1-0PL学園
      選手権決勝 取手二8-4PL学園
昭和60年 センバツ準決勝 伊野商3-1PL学園

「桑田・清原時代の幕開けとなった」と思いきや、以外にもこの3校に敗れています。この3校の共通点は何でしょうか?ずばり自由奔放、自分勝手、野武士野球などと言われていたところです。岩倉と伊野商は初出場でした。
取手二の監督は、あの前常総学院監督の木内さんです。この人はこの試合ではじめて全国区になりました。伊野商:渡辺は清原から3三振。ストレートで押し切ってその後センバツ優勝です。岩倉:山口もPL相手にビビらず、みごと完封。いやはや王者PLに勝つのはこんなチームなんですね。楽しむことが大事だ、自分の好きなようなやればいい、ということを教わりました。




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